ベジーズJP 編集長のブログ
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VEGGIEZ.JP編集長がテキトーな関西弁で、ヴィーガン、ベジタリアンの視点から思ったことや人間の心と体についてなどを綴っていくコーナーです。質問もどんどん投稿してください☆(転載などもご自由に)

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April 17th, 8:28pm 0 comments

『みんなが勝てば、争う必要はなくなる』

たまたま内戦のある国に生まれて

生き残るために、自分の愛する家族を守るために

本心では他人を傷つけたくないのに銃を手にする。

その気持ちってどんなんやろう?

 

たまたま自分が

毛皮を商売にしている家庭に生まれて、

多くの動物愛護者から罵声を浴びせられる母親を見るのは

どんな気持ちなんやろう?

 

人間にまつわる戦争

そして動物にまつわる戦争

人類は過去にたくさんの傷をもって学んできたけど、

それならこれからはどうすればいいんやろう?

 

みんなが勝つ方法を考えること。

これはこの先どんなビジネスの成功にも当てはまる。

 

アメリカには、食肉用動物の飼育を商売にしてあまり上手くいってない人に

「今あなたがこういった穀物・野菜系の生産に切り替えれば、

今までよりこれだけ利益が上がりますよ」と、

ちゃんとしたデータをもとにコンサルタントしてくれる機関があるらしい。

これを以前、名古屋に行った際に友人が教えてくれた。

聞いたとき、すごく素晴らしいやり方だと思った。

その場にいる全員にメリットがある方法。


誰か負ける人が生まれるやり方じゃなく、

みんなが勝つアイデアを生み出していくことは、

これからの時代をよりよくする大きな智慧になると思う。

 

国境で国が分かれたり、

宗教・信条によってグループが分かれたり、

それは便利なことも多いけれど、

対立するために分かれて、奪い合うことは争いや傷を生む。

自分ならそんな環境に放り込まれたくないし

次に来る子供たちの世代にも経験させたくない。

 

人は傷を経験した分、思いやりを手に入れる。

そしてその思いやりが地上から傷や争いを少なくする。

自分の眼に他人がどう映ろうと、

その人のほんとうの気持ちはその当人にしか知り得ないもの。

人種からはじまり、宗教・信念・趣味にいたるまで

自分とは違った立ち位置の人間が70億人はいるという現実に

理解を示して、

そこをスタート地点にして人はやっとまっとうな会話ができる。

「自分の立ち位置だと、あなたにこんな協力ができますよ☆」と、

そういう声をもっとこれからは聞いていきたい。

Posted by veggiezjp
April 6th, 11:02pm 0 comments

人はみな怠け者で頑張りやさん

仕事をしすぎると「遊びたいなあ」「休みたいなあ」

って思うし、

でも逆に「何もしなくてもいいよ」って言われて

ほったらかしにされても何か仕事をしたくなってくる。

そういう自分勝手なところが人間にはもともとある。

 

メトロノームみたいなもので、

気分は現状に関係なく右にいったり左にいったりするもの。

左右違う方向に現状と気分があるときに人はストレスを感じるみたい。

 

自分に厳しいタイプの頑張りやさんってのは、

ずっと仕事の方に針を傾けようとして、最終的に本体を壊しかねない。

どんな道の人でも、熟練したプロは休み方もプロだと思う。

自分のテンポになんとなく気が付いてて、

音楽のリズムに身をゆだねて楽しむように生活してる。

仕事や、やるべきことの中でも

「務め」的な部分と「愉しみ」的な部分とに分けるのが上手で

自分の気分に今合ったタスクをいつも手元に持って来れる人や。

 

人はほんとに集中すると時間を超越する。

10時間楽しく働くことと1時間嫌々働くことは

体への負担は同じくらいかもしれない。

逆に、仕事のことを気にしながら3時間遊んで

いっそう心労をため込んじゃうかもしれない。

 

5時間仕事をした、じゃあ5時間遊ぼう。

みたいな単純計算じゃなくて、

その、時間は超越した「質」を見ることが大事なんやと思う。

「頑張る」の語源のひとつは「眼張る」らしいけど、

同じ頑張るなら、自分の行動の質と心に流れる音楽に対して

目を張るようにする。

そうすると、効率も良くなって

なんでももっと過ごしやすくなってくるんやと思う。

Posted by veggiezjp
March 30th, 10:00pm 0 comments

ベジタリアンが周りから距離を置かれるワケを考えてみた。。part7 〜 正義感は人を裁く

ベジタリアンだけじゃないねんけど、

毎日の生活の中に、

自分に対しても他人に対しても

「こうしなければならない」

「こうあるべきだ」

みたいな考えが多く頭に浮かんじゃう人。

もし少しでも心当たりがあるなら読んでみて。

 

これらの考えってのは実は幻想。

それに気付くのに時間がかかる人は多い。

僕も実際、長いあいだ幻想の中にいた。

ほんとうは、「しなければならない」んじゃなくて

「自分がそうしたい」「自分がそうするのが嬉しい」であって

それをすることで自分自身が救われてるってこと。

 

変な例えやけど、

世界中で10億人くらいの人が、頭の中に

「人々はこれこれこういう自分自身の責任を果たすべきだ」

っていういろんな色の「考え」をそれぞれ持っているとして、

その10億通りの「人のあるべき姿」に従わなかったなら

自分の生活を脅かされるとしたらどうやろう?

 

人は頭の中で他人や自分を裁いてしまう生き物。

でも思考がいったん裁判を始めてしまって

現実が自分の思う通りになっていなかったら

苦しんだり怒ったりし続けることになる。

そしてその次にその痛みは「変わらない誰々のせいだ」と言い始める。

そうやって、

痛みは自分で生み出しているということはどこかに置き忘れてしまう。

 

頭の中でしょっちゅう裁判所に出かけてると、

自分のエネルギーという裁判費用をすり減らしてしまう。

たぶんあなたの貴重なその費用は、

もっとよりよい使い道を待ってる。

頭の中の戦いを終わりにすることは、

現実の中の争いも終わりにすることに一役買う。

Posted by veggiezjp
February 22nd, 6:28pm 0 comments

毎日がコラボレーションの連続

例えば、iPhoneで何かきれいな写真を撮って友達に見せたとする。

この行動ひとつだけで、

あなたはスティーブジョブズ&彼の制作チームと

コラボレーションしたことになると言えるやろう。

そのときなにかアプリを使って撮ってたなら、

そのアプリの製作者ともコラボレーション、

つまり共同制作をしてるって見方ができる。

 

今の時代に生きることは、毎日がコラボレーションの連続。

料理を作る、絵を描く、スーツを着て仕事に行く、

その行動だけを見ても

包丁、食器、塩、コショウ、鍋、野菜を作った人、

絵の具、筆、紙を作った人、

服、化粧品、家の扉、エレベーター、道路、そして会社を作った人と、

結局ほとんどは一生顔を合わせることもない人たちとのコラボレーションを

僕らは日々の中で連続させてるんや。

 

誰のちからもかりずに、

自分独りだけのちからで生きていると主張する人がいたとしても、

彼を生んでくれた両親や病院、

それまでその両親を支えてくれたすべて

(さらにさかのぼっていくときりがないけどね)

彼が今まで口にしてきたものすべてを作ったり運んだりしてきてくれた人、

そのほかほんとにたくさんある。

 

もし自然の恵み以外のことを自分のちからだけで

やってのけたって人がいるとすれば、

赤ちゃんの頃から今まで裸あるいは葉っぱの服とか

自分で布や布を作る道具も糸もゼロから素手だけで作り出した人で、

食べ物も自分で育てて家も自分で造って住んで、

火の起こし方も教わらず自分で発見して。。。。。

そんな人には少なからず僕は会ったことがないw

誰ともコラボレーションしてない人に僕は会ったことがない。

 

ボランティア、仕事、友情、

それを発揮する機会がなんであれ、

この地球というコミュニティに便利なもの、愛のあるもの、豊かなもの、

それからそんなアイデアもろもろを還元することは、

自分を含めてみんなが幸せでいるためには

けっこう不可欠なことなんやなあと改めて考えさせられる。

 

インターネットの世界に没頭する以前に、

僕らは「地球」という史上最大のSNSの中にいるんや。

他人とのコラボレーションをしてない日なんてほぼない。

そういう考え方で眺めてみると、

気付かないだけで赤の他人があなたの生活の一部を構成してるっていう

超複雑なクモの巣状のこのシステムも

毎日の自分の行動の中に垣間見れるし、

自分のするべきこと、役割、

そういったことをはっきりと見ることだって

もっと簡単になっていくんやなあと、

なんか「いいことずくめなものの見方かも」

そう思うわけです。

 

Filed under ものの見かた
Posted by veggiezjp